
昨日に引き続き、陶芸家・申翰均さんを訪問
日本からの注文茶碗を焼いていたという法基里窯跡を案内してもらいました
申さんの説によれば、ここが井戸茶碗の「ふるさと」であり、クライアントの首謀が古田織部だという
ほとんど手付かずのこの史跡には、無数の陶片がザックザック……といった状態なのです
掘れば掘るほど日本のやきもののルーツがさらに詳しく解明されるにちがいありません
新羅の都・慶州では数百年前の面影を今に遺す古民家地区を踏破
茅葺きの屋根、曲線を描く瓦、柱、生け垣、塀に、日本建築との相違か見てとれます
かたや自然の一致、足さない引かない作意は、利休ごのみとどこか響きあう
まっすぐな道ではさみしい、人生は無為自然、どうせ曲がった人生だ
師の精神は形を変えて織部受け継がれ、やがて「へうげもの」な茶碗誕生へと至る
師弟と朝鮮との係わりは決して定かではありませんが、いずれ『へうげもの
」において、山田芳裕がファニーな自説を熱く語ります