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[おことわり]4月20日より上野・東京国立博物館・平成館で開催される〈特別展 細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション〉に,山田芳裕『へうげもの』が宣伝協力。モーニング4月22日号の冒頭に,表題の対談ダイジェスト版を掲載中です。完全版は弊誌公式サイトにてご覧いただく予定でしたが,諸事情により間に合わせることができませんでした。暫定的に当ブログでアップさせていただきます。簡略な体裁で申し訳ありません。公式サイトでも近日中に公開します。しばらくお待ちください。なお,編集の都合上,ダイジェスト版と一部内容が異なります。ご了承ください 戦国物欲漫画『へうげもの』で,細川家初代・細川幽斎を描くにあたり,十八代当主・護熙氏のご尊顔を拝借した山田芳裕(42♂)。言わずと知れた元総理とまさかの対談が大実現にて候。 さる2月26日、山田が参上したのは東京目白台・永青文庫。細川家七百年の至宝を収める洋館にて細川さんと晴れてご対面。現在は作陶に勤しむ氏の気さくな人柄に,ホッと胸を撫で下ろしたものの、やはり件の負い目から,山田以下『へうげもの』チームは恐縮しきり。 緊張が容易にほぐれぬなか、目の前に運ばれし「唐物茶入 利休尻ふくら」と「黒楽茶碗 銘 おとごぜ」。我らが古田織部の悪友(?)・細川忠興(三斎)公ゆかりの名品に,秒殺全身リラクゼーション&大金時爆裂微塵。山田を和ませたのは、やはり「MONO」だった。「アイムソーリー対談」,いざ開幕にて候。 *〈特別展 細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション〉のご案内は当記事の最後にあります 元総理、アイムソーリー 山田 ……あの、これ「モーニング」の最新号です。『へうげもの』が載っていまして。 細川 いろんな人から、漫画に出てるって言われましてねえ。政治漫画に出るわけはないし。そしたら『へうげもの』っていう漫画だと。びっくりしましたですよ。漫画に私の顔が載ってるもんだから(笑) 山田 剃髪した幽斎の顔が、ハハハハハ……、何となく似てらっしゃる気がしまして。改めまして、ホント申し訳ありません(関係者一同お辞儀) 細川 いやいや(笑)。永青文庫のスタッフたちも読んでたのに、私には言わなかった。当然、知っていると思ってたらしくてね。娘たちも「なんだ、読んでなかったの?」だって。それからあわてて読ませていただきました。織部のことはもちろんですが、利休さんのことから何から、そうとう歴史に造詣が深い方だと感心しました。 細川家、美と戦いの七百年 山田 これは利休が所持していて、秀吉の北野大茶会でも使ったという茶入……。 細川 「利休尻ふくら」は関ヶ原の武功によって、忠興が徳川二代将軍秀忠から拝領したと言われています。利休所持のもので、利休が切腹するとき、忠興に渡してくれと言った茶杓もありましたが、江戸時代の享保の大火で焼けてしまいました。いまうちにあるのは茶杓「ゆがみ」と、この「尻ふくら」。 山田 写真で想像していたより小さいなあ。以前、織部の茶杓を見たんですが、細いですね。簡単にパキッといきそうなくらい華奢だった。あれはわざとなんですかね。 細川 昔の人は今に比べて、体が小さかったんじゃないですか。鎧兜も意外に小ぶりな印象ですよ。でも、幽斎は恐ろしく力の強い人だったようです。 山田 とても多芸で、マルチな人だったと本に書かれていますね。 細川 武芸はもちろん、書に和歌、お能……ダ・ヴィンチやミケランジェロみたいに、何でもする。忠興も大変な武将で、命がけの戦場を何度も行き来した猛者です。しかも明日死ぬかもしれないというのに、茶会をやる。すごい人たちです。当家にはこれという家訓はありませんが、一言で言えば「細川家、美と戦いの七百年」というところでしょうか。私は間違って政治の方に行っちゃいましたけども(笑)。 山田 シャシャシャ(爆笑)。「おとごぜ」は長次郎の茶碗にしては、ゆがみが大きい方ですか。 細川 三斎が長次郎に焼かせたとも言います。口縁がゆがんでいるあたりが三斎好みなのでしょうか。ちょうどいい重さでしょう? 山田 こんなにツヤツヤしているとは思わなかったな。いま細川さんが作られている茶碗は、この時代のモノとどう違うんですか。 細川 使い込むかどうかですね。茶筅でかき混ぜたり麻の茶巾で拭ったりしているうちに時間と共に、いいかすれ具合になるんですよ。 山田 やっぱり聚楽第あたりの土じゃないと、楽焼はできないんですか? 細川 樂家はそうだと聞いていますが、私は滋賀の土を使っていますけれど、けっこう近いものができますね。 山田 いや、感激しました。普通見られるもんじゃないし、美術館だとガラス張りですから。 お前は「ナマコ」なンですよぉ 細川 忠興の茶会に呼ばれた幽斎が、茶碗にナマコを入れたって話があるんですよ。 山田 それは初耳ですねえ。 細川 突然、袂からナマコを出して、お濃茶に放り込んで「うまい、うまい」と。忠興ほか、並み居る武将たちはあ然だったでしょうね。武将たちが思うに、やれ道具だ何だと忠興が血道を上げているので、「お茶に呑まれちゃいかんぞ」と言いたかったんじゃないかと。 山田 ナマコが忠興だったわけですか(笑) 細川 面白い話だと思うんですね。幽斎という人はお茶人ではあったけれども、決してお茶には呑まれなかったようです。当家は代々お茶とかかわりがある家でありながら、祖父の護立もそうでした。当時は原三渓、益田鈍翁、松永耳庵……みなさんお茶だったでしょう。お道具の蒐集にも熱心だった。ところが護立は茶の湯からばかりでなく、もっと広い視野で美しいものを見る姿勢を失いたくないと、ペルシャ、西欧、エジプト、中国と、いろいろなものに触れたんですね。 山田 天の邪鬼な人だったんですかね。人がお茶道具なら、オレは絶対集めないという。 細川 へそ曲がりというのとは違うんじゃないでしょうか。直感で見るというのが祖父の流儀でした。骨董屋さんが本物で、いいものですと言っても、それはあまり聞かない。自分の眼でいいとなったら、贋物でもいいという人でした。そのあたりは白洲正子さんとも共通しています。祖父がそんな風だから、私も子供の頃から茶道具を見たことがなかった。陶芸に手を染めてから、何かの展覧会で見せてもらったのが初めてです。茶碗作って、茶杓も作っているくせに、お茶はよくわからない(笑) 山田 スミマセン、おれも全然(笑) 細川 最近のお茶は形式的で、お茶室に入る時は左足からとか、畳の縁を踏んじゃいかんとか、いろいろあるでしょう? 私は形式的なものはまったく苦手でしてね。どんな席に行っても、最初から「あぐらで失礼します」と(笑)。昔の武将もあぐらだったわけだから。 山田 あぐらかいたり、膝を立てて飲んだとは聞きますが。 細川 何かの時に、右膝を立てていた方が立ち上がりやすい。そういうこともあったかと思いますが、いまみたいに、大書院で着物を着て、香水の匂いがするというのとは明らかに違ったわけですからね。 山田 ヒャッヒャッヒャッ。 細川さんも、「めぎゅわ」ぞ 細川 私の茶碗も半分くらいが破調です。どこかに必ず、いたずらをしています。長年、職業として作っておられる方はロクロを早く回すでしょう? そうすると、自然とシンメトリックになりがちです。さもないとグチャグチャになっちゃいますから。私は逆に、できるだけゆっくり回すほうが面白い形になると思っているものですから、ゆっくり回すっていうことに腐心しているんです。 山田 オレもシンメトリックなものはつまらないと思うんですよ。焼き物で最初にいいと思ったのは楽焼です。ほんのりした感じがよかった。織部焼はまず黒織部ですか。緑釉は派手過ぎるというか、すぐには受け付けなかったんですが、見続けているうちに緑色もいいなと。最後はやっぱり「伊賀水指 破袋」みたいなのが一番じゃないかって感じです。 細川 うん、あれは面白いですね。当時の人はびっくりしたでしょうね。沓形茶碗なんていうのも、仰天の発想です。 山田 現代だと、西洋の印象派なり何なりを一通り見てきているから、子供の頃から「ヘタウマ」が分かったりするんですけれど、いきなりゆがませて、「これいいだろ?」っていう感性がどこから来るんだか。 細川 志野にしても、織部にしても、大変なデザインだと思いますね。あの頃の人たちの感性はすごいですね。 山田 すごいですよねえ。 細川 安土桃山時代は本当に型破りな気風がみなぎっていて、たかだか五十年かそこらですが、利休は出るわ長次郎は出るわ、織部は出るわ、大変な時代ですよね。信長も破天荒な人だし。それぞれの個性がすばらしいのは勿論ですが、そういう人たちを生み出した時代精神というものに私はとても関心がありますね。 細川家=失われた時を求めて 細川 当家はラッキーな家でしてね。七百年の間、ほとんど戦乱に遭っていないんですよ。ある時、祖父の護立が来客に「この間、火事で少しばかりモノが焼けた」と。びっくりした客が「いつのことですか」と聞くと、「応仁の乱の時ですよ」と(笑)。 山田 クックックッ。 細川 享保の大火の時は利休の茶杓なんかが少し焼けましたが、ここは近くに東京カテドラル聖マリア大聖堂があったおかげで、先の大戦の時も空襲を免れました。熊本の屋敷の方は爆撃を受けて、家は丸焼けになりましたが、五つあった蔵の中身は全部残った。ですから、ほかの大名家には伝わらなかったようなものが当家にはあるんですね。 山田 手つかずの文献が大量にあるとか。 細川 約十五万点なんですが、熊本大学図書館の地下に入っていましてね。広い部屋の天井までぎっしり。全部読むには百年近くかかるんじゃないでしょうか。 山田 一体どんなことが書かれているのか。早く解明してほしいですね。いや、ホントに読みたいなあ。 細川 記録好きの家でね、江戸時代の二百六十数年間、担当者が毎日克明に日記を付けています。ですから元禄十五年十二月十四日の赤穂浪士の討ち入りの日、歌舞伎や映画では雪ということになっていますが、実際は曇りだったと書いてある。小次郎と武蔵の話でも、実は小次郎は死んでなくて、生き返ったという記録がありますよ。家老で門司城代の沼田延元が巌流島の決闘の立ち会い責任者で、記録を残しています。武蔵の木刀でしたたかに打たれて、小次郎はたぶん脳震盪を起こしたんでしょう。三十~四十分後に意識が戻った。果たし合いの時には島に入るのを禁じられていた武蔵の弟子たちがちょうど上陸してきて、復讐されたら大変だと、小次郎を打ち殺してしまった。 山田 ククククク(笑) 細川 あんまり言うと、イメージを壊しちゃうもんだから、できるだけ言わずに控えているんですが(笑) 細川家家臣・古田左介 細川 そうそう、当家の「綿考輯録」に、織部は細川家の家臣だと書かれています。幽斎から左介に「五百石被下置候」と。 山田 かなり若い頃から細川家とかかわっていたみたいですが、五百石は初耳ですねえ。織部は美濃出身だから、元服するかしないかのうちに、細川家に仕えたんですかね。 細川 当家はそもそも三河の岡崎あたりの出ですから、美濃とは遠くない。幽斎が織部に信長直参を仰せつけ、後に織部正と改名したとも書かれています。 山田 織田と細川をつなぐパイプ役として預けられていたんじゃないですか。 細川 秀吉の勘気に触れた利休が京を追われる時、織部と忠興だけが見送りに行ったのも、高弟同士だったからというだけではないと思うんですね。もっと深く通じていたというか。 細川忠興、冷静と情熱のあいだ 山田 しかし、忠興公というのはホント熱血な感じですよね。好きなものができたら、とにかく突っ込んで、集めようという。 細川 兜に山鳥の羽を立てた忠興の具足があるんですが、よくある鹿の角みたいな前立を付けた兜は戦のとき林の中を疾走すると、枝に引っかかって落馬続出だったんですね(笑)。それを山鳥の羽に変えた。鎧も軽量化して、鞍ずれ防止にビロードを貼り付けたりしている。実戦的なんですね。ちなみに、あの具足には槍で貫かれた跡がありましてね。それを忠興は糸でかがって、自分で繕っています。 山田 武将で茶人、おまけに裁縫とはスゴイ(笑)。 細川 ただ、私は忠興のことはよくわからないんですよね。幽斎さんのほうがまだ分かるというか。 山田 オレも描いていて、わからなくなる時があるんです。たしか刀鍛冶を斬ったとかいう逸話がありますよね。刀を作らせている最中に。 細川 当時のバテレンなんかが実際より悪く言った部分はあるんじゃないかとは思うんですよ。ただ、悪い逸話の忠興と、茶人としての忠興と、どっちが本当の忠興なんだろうと戸惑う時がありますね。 山田 キリスト教に反対していたのに、高山右近と仲がよかったはずだし、妻のガラシャのために、大坂屋敷に教会を作ったりして。 細川 ガラシャの手紙は当家にも少しありますが、キリシタンの話が出ると、細川家が潰される恐れもあるので、全部抹消してしまったんですね。残っているのはガラシャが忠興に作ったとされる小袖、ガラシャが絵を描いた袱紗、ガラシャの死後、忠興が作らせたとされる南蛮の鐘かな。ただ、上智大学のキリシタン文庫の文書によると、息子の忠利も洗礼を受けていたと書いてあるものもある。忠興も内心では信仰を理解しながら、政治的な得失を考えてうまくやっていたのかもしれませんよ。バチカンあたりから今後、面白い文献が出てくるかもしれません。 細川さん、ホントすみませんでした 山田 いやあ、今日はもう役に立つ話ばかりです。 細川 これからも、なんなりとおっしゃってください。司馬遼太郎さんもお見えになって「細川家の歴史はどこで切っても大河ドラマになる」とよく古文書を調べておられた。そのうちにまた歴史のよもやま話でも。 山田 勝手に細川さんを描いちゃって、ホントすいません。引き続き自分の想像で忠興公を描かせてもらいますので。 細川 読ませていただきます。できるだけ、いい男に描いて下さい(笑) 撮影/板橋剛 撮影地/永青文庫 http://www.eiseibunko.com 協力/永青文庫 細川事務所 NHKプロモーション 共同PR [特別展]細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション 公式サイトはこちら http://www.hosokawaten.com/ 開催期間 2010年4月20日(火)〜6月6日(日) 会場 東京国立博物館・平成館 東京都台東区上野公園13-9 JR上野駅公園口・鴬谷駅南口より徒歩10分 東京メトロ上野駅・根津駅・京成電鉄京成上野駅より 徒歩15分 開館時間 午前9時30分〜午後5時 *金曜日は午後8時まで 土・日・祝日は午後6時まで いずれも入場は閉館30分前まで 休館日 月曜日休館 ただし5月3日(月・祝)は開館 観覧料 公式サイトでご確認ください 主催 東京国立博物館 永青文庫 NHK NHKプロモーション 朝日新聞 協賛 トヨタ自動車 日本写真印刷 後援 文化庁 お問い合わせ ハローダイヤル:03-5777-8600 タグ: 細川護煕 細川家 永青文庫 みんなの細川護煕をまとめ読み 0 Tweet